【PR】

  

Posted by TI-DA at

2023年11月23日

知的障害や発達障害の子どもたちを育てるための投資と融資を総額5000万円を目標に

知的障害や発達障害のある子どもたちが、
放課後や冬休みや春休みや夏休みに通っている
[ オルタナティブ・スクールとも ]
を運営している株式会社関組の株主になって支えてくださる
投資あるいは融資してくださる支援者を募集します!


投資(株主になる)あるいは融資(お金を貸す)で
の資金調達目標を総額5000万円とします。


2018年1月から株式会社関組は、その起業時からのメンバーで元・保育士の30年を超えるキャリアを活かし、児童福祉法に もとづく障害児通所支援施設である、

0歳からの未就学児を対象にした【児童発達支援】事業

6歳から18歳を対象にした【放課後等デイサービス】事業

の多機能型の施設として兵庫県に申請し、

https://school-3947.business.site/
オルタナティブ・スクールとも

は、

兵庫県<指定>番号=2851101416 

を得てこの経営に舵を切り0歳から18歳までの障がいを持つ子どもたちを対象としています。

2023年6月からは、

宝塚市<指定>番号=2831110164 指定特定相談支援事業
宝塚市<指定>番号=2871100158 指定障害児相談支援事業

で、宝塚市役所からの<指定>を【相談支援事業所】としても[とも]は受けました。
この仕事は介護保険の業界で例えると、ケアマネさんに似た立場です。

https://www.city.takarazuka.hyogo.jp/kenkofukushi/shogaisha/1045536/1000616.html

いずれの事業収益も9から10割を宝塚市役所/健康福祉部/障碍(がい)福祉課から得ていて、不足した運転資金の調達はおもに政府系金融機関からの融資で補ってきました。
それでも今も拡大しているコロナとインフルエンザによって子どもたちが欠席すると売り上げは減り経営は危機的な状況に突入しています。

以前の私は、国会ロビー活動と日本各地で支援者が主催してくださった関組長の講演会、それに集会やデモや選挙運動で、議会制民主主義に基づき立法府(国会)を動かすことによって戦争や原発などの私たちの<いのち>を脅かす利権構造の課題に全身全霊で請願署名用紙議員の質問原稿などを書いて政策立案提言を続けた約10年間でした。

その2001年9月11日以降から2011年3月11日以降までの私が自問自答し続けた事は、とことんやったこともないうちから可能性を探求しないままでは死ぬ間際に後悔するだけだと。

できる限りさまざまな分野の課題へと取り組みましたが、インターネットを選挙運動で使えるように公職選挙法を改正させることが、東京都千代田区永田町に身を置くスタイルのロビー活動で取り組んだ最後の課題となりました。

第二次世界大戦の際に、徴兵検査でひっかかり、空襲の下を敗戦まで大阪で生き延び、闇市が拡がる大阪梅田駅の界隈で、意匠図案家(=デザイナー)として会社の社章や学校の校章やアクセサリーなどを創る商売で生計を立てた私の父は、大阪における社会教育の市民活動の先駆けでもありました。
この社会教育(生涯学習)の市民活動の会で出会った私の母と父が、そのデザイン事務所兼自宅の不動産を、現在のHepFive(ヘップファイブ)=阪急電鉄グループ企業の買収に応じて売り転々と引越した末に落ち着いたところが兵庫県宝塚市です。
まだ10代だった頃の私が、「なんであの戦争をお父さんは止められへんかったん?」との問いに、第二次世界大戦の戦前から生きてきた父は「どうすることもできひんかったんや。」と答えて泣き崩れた日がありました。
この対話こそが、国会を10年のあいだ走り続けた私の原動力だったのです。


我が国の自衛隊が、後方支援と称する兵站(へいたん)だの人道復興支援だのとアフガニスタン、イラク、ソマリア、南スーダンでの戦争に参加させられることを私が阻止したくて国会を走り続けた原動力でした。
「なんであの戦争をお父さんは止められへんかったん?」との問いを、もちろん己自身にも向けた訳です。

母が倒れ骨折と脳梗塞で入院したために私は首都圏から離れ兵庫県宝塚市にある実家へ。
その後の母は急性期病院からリハビリ病院そして介護療養型医の病院へと転院しながらそこで生涯を終えて遺言である検体登録カードにもとづいて兵庫医科大学へ。

亡き母と父が遺してくれた家と銀行預金をほぼそのまま活かして2014年9月に設立した株式会社関組は、河川の水系・流域を中心にしたコミュニティ・デザインとネットワーキングを形成するためのSNSを開発する基礎となる、上水道の取水地の河川の地理空間情報( GIS )のデータをG7をはじめG20を中心に約200の世界各国の政府機関から集める仕事を進めていました。
この企画を私が構想したきっかけは長良川や吉野川の脱ダムの市民運動に参加したことに端を発した、結集軸として河川の水系・流域と選挙区をすえた市民運動の組織論です。
そしてこの理論は、江戸時代に大名の支配した領域およびその支配機構の幕藩体制でもなければ、明治維新での廃藩置県だの、既存の地方自治体を統合する道州制ではなく、生態系にもとづいた地方自治の在り方にもつながります。
ところが、必要な情報を得ることが日本だけでしか実現できない、調査研究に費やしてきた私財の預金も底をつきかけて、この企画を断念。

今までの私の人生でやり残した事、まだ挑戦してもいない事は、他に何か?とことんやったこともないうちから可能性を探求しないままでは死ぬ間際に後悔するだけだと自問自答しているうちに、16歳の頃からの想い、時間割の無い子どもたちのオルタナティブ・スクール、を形にすることを思い出したのです。

平田オリザさん(=現在は芸術文化観光専門職大学の学長/劇作家/演出家/青年団という劇団の主宰者)の最初に出版された世界一周旅行記に影響を受けた宝塚中学校の3年生の頃、兵庫県立宝塚高等学校の生徒会での活動、そして高校生で不登校とひきこもりを経て中退しフリースクール研究会でさまざまな教育者や[登校拒否を考える会 ]や[障害児を普通学級へ全国連絡会 ]のアクティビストや、ジャーナリストたちと出会い、そこで私は留学してイギリスやフランスやドイツやアメリカにあるフリースクールを生徒の立場で体験してから日本・関西に創立することも妄想しました。
寺子屋学園から[ 自由の森学園 ]が、その後に、ニイル研究会から[きのくに子供の村学園]が創立されました。
それでも私は、学校教育法にもとづく学校という枠組みでオルタナティブ教育の場を創ることに意欲が湧かないままでした。
20歳の頃の私は勤め帰りに簿記を学ぶために伊丹市立伊丹高等学校の定時制の商業科へ通い、中退はしましたけれど。

街を歩いていて放課後等デイサービスの看板に私が眼を留めたのは2016年から2017年。
それは賃貸マンションの1階部分の貸店舗に入居している小さな施設でした。
1日あたりの利用者の子どもたちの定員は10人。
パラダイムと学習指導要領とカリキュラムと時間割が根幹にある学校教育法の学校とは異なり、子どもたちのひとりひとりに個別支援計画を作成して療育をおこなうことが児童福祉法にもとづく児童発達支援と放課後等デイサービス事業の根幹です。

障害児ではなく健常者を中心にした学校教育法の学校とは真逆であることも、私の思想に限りなく近い制度だと思いました。
不登校の子どもたちのための居場所=フリースクール、といった在り方が[とも]の第一の使命でも無いのです。
いっしょに遊べる友だちづくりが難しい障害児の放課後を支援する市民運動があってできた法制度によって成り立っているのが放課後等デイサービスだから、です。
[とも]に通っている子どもたちの大多数は、特別支援学校や、校区にある普通学校のなかの特別支援学級などにも通っています。

子ども家庭庁(以前は厚生労働省)と都道府県庁と市町村の障害福祉課の所掌事務であるこの制度に関して私は、宝塚市議会や兵庫県議会や国会へのロビー活動の必要性を痛感する羽目にもなりました。
この投稿で詳しく説明することは避けますが、その難題のひとつは市町村の障害福祉行政の不登校の児童生徒への扱いです。

「ずっと永田町の国会を走り続けて・・・・・関さん自身の人生はどうするつもりなのか?
子育てや結婚生活をできる年齢的な時期を棒に振るつもりなのか?」
と私個人の人生を心配してくださる国会ロビイストの私の支援者が和歌山市に居ました。

その心配は的中し、私の恋愛遍歴は私じしんの子育てにはつながらないまま56歳の誕生日を迎えましたが、さまざまな縁が[とも]でつながり合って出会い共に過ごしている子どもたちを私はとても愛していて日々幸せに暮らしています。

児童福祉施設の事業資金を得るのにクラウド・ファンディングの類に今まで二の足を踏んでいたのですが、カンパ(=寄付)だけで10年間も生計を立てながら国会ロビー活動と選挙運動をフルタイムで続けられるほどの活動資金も得ることができていたあなたが、なぜ?と思う方がこのブログに読者には少なくないでしょうが、それは下記のような事情からでした。

日々、私は、[とも]に居る子どもたちの様子をたくさん写真に撮っています。しかし、その写真は保護者さんたちにLINEで送ってはいますが、クラウド・ファンディングのプレゼンテーションの道具に使うことは[とも]の利用者の子どもたちとその家族の個人情報を守るために、できません。

貧しい国の貧しい子どもたちや難民を支援するNGOが寄付金を集めるウェブサイトに載っているような、泣いている子どもたちの眼がうつっている写真も、笑顔の子どもたちの眼がうつっている写真も、[とも]のブログ https://alternativeschooltomo.hatenablog.com/ にすら載せて無いのです。このブログや、インスタグラムに[とも]に居る子どもたちの様子を載せる記事を投稿することは稀にしかありませんし、載せても顔の部分を加工して隠して写真を載せています。

子どもたちのナマの声の音声データをネット上に載せたことも無いのです。

資金集めのクラウド・ファンディングのプレゼンテーションをクリエイティブな角度から私は思案しましたが、これは極めて不利な要素です。

それでも株式会社関組への投資あるいは融資をご検討いただける方には、[とも]の利用者の子どもたちとその家族の個人情報を守れる範囲での情報提供をさせていただきますので、お問い合わせのお電話をください。

Google Map に[ オルタナティブ・スクール とも ]と入力して検索し、
Google Street Viewに切り替えると、建物の外観と周辺の写真を見ることができます。

〒665-0842
兵庫県宝塚市川面3丁目1-10 <=ここが[とも]の施設の所在地
Seki Team Co., Ltd.
株式会社関組
代表取締役
SEKI Yoshitomo
関 義友
iPhone;080-9177-6025
FAX 0797-84-1643
メールアドレス: ceo あっとま~く seki-team.co.jp

[ とも ]の子どもたちから「しゃちょうさーん!」 と呼ばれて腕を引っ張られずに外部からのお電話に対応し易い時間帯は、

〇 月曜日の午前+夜

〇 火曜日の午前と午後+夜

〇 木曜日の午前+夜

〇 土曜日の午前+夜

〇 日曜日と祝日の午前と午後+夜

で、これらは子どもたちが[とも]には来ていない時間帯です。

・  

Posted by 関組長 at 05:35子ども家庭庁